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5月の誌友会(その3) [誌友会]

谷口雅春 訳(R.E.デーヴィス著)
『人間とは何か-その本質及び環境と運命-』
(原題「時間・空間・環境」)
自覚を新たにする肉体
あなたは、自分の身体を生まれ変わらせることも、つくり変えることもできるのである。
潜在意識が“是こそ真実だ”と感じて承認することが、あなたの生活にそのまま具体化して現われるのである。それだから、自分自身を“有限なるもの”、“不完全なるもの”とする観念を解放し、真実自分は完全無欠であるとの想念を心に描くがよいのである。
あなたは、自分は「死ぬべきもの」とする人類的信仰を捨て去ってしまうべきである。
肉体というものは、一時的に、この世界の次元とふれ合っているものなのである。私たちは、一方では、肉体の働きが順調に行われるよう肉体の秩序をたもつべきであるが、いつの日かその肉体を脱ぎ去ることになっていることも知らなければならないのでる。幾世代を通じ、この地球上(他の遊星はもちろんのこと)に残された肉体の痕跡を、追って見ることができれば、それはまったく想像を絶するにちがいない。(つづく)

5月の誌友会(その2) [誌友会]

谷口雅春 訳(R.E.デーヴィス著)
『人間とは何か-その本質及び環境と運命-』
(原題「時間・空間・環境」)
自らを表現しようとして、私たちの身体を貫流する創造的生命は、なんのかたよりもなく、ただ自己表現をしようとして流れているのであるが、私たちが過去においてつくった業のビデオテープに残されている型によって、その現われる相(すがた)が変わってくるのである。
あなたが肉体をもって時間、空間の中に生れて出て来たのは、「生命」の流れが、或る条件をもった意識(業因)をとうして顕現して、かくの如き肉体をもつに至らしめたのである。
あなたの肉体も、また、あなたの肉体の住む三次元世界も同様に、そのようにしてエネルギーが凝結してあらわれたものであるにすぎないのである。この宇宙は、エネルギーが時間、空間の様相をもって凝結したものである。しかもそれが現実性をもつというのも、実はただただ不可視の世界にその精神的原型があればこそである。
潜在意識のビデオテープに残されている業の相を修正することが私たちにむつかしい理由は、もし私たちが肉体からあらゆる業の存続を取り除くことに成功するならば、業の集積として現われている肉体は無くなってしまうからである。
もし又この宇宙に現実性を与える原因として存在している全ての精神的原型(業)を抹殺することができるならば、此の宇宙は消えうせるにちがいないのである。
自己表現への一路邁進する道は、神想観又は正しい瞑想の実修のうちに見出されるものである。神想観は肉体に純粋なエネルギーを充満させるものである。
(つづく)
5月の誌友会(その1) [誌友会]

谷口雅春 訳(R.E.デーヴィス著)
『人間とは何か-その本質及び環境と運命-』
(原題「時間・空間・環境」)
第二章 因果律を超える道 より
業のビデオテープについて
真理を正しく理解することができれば、とかく私たちを因果律の外に出ることは不可能であるといふ限定を信ずる窮屈な信仰に閉じこめているところの意識の壁を突破することができるのである。
業といふ観念は、純粋に条件反射的見地に立つものである。あなたが、快楽、苦悩、恐怖といった強烈な情緒的な激動によってある経験をするならば、この経験の記録は潜在意識に書きとめられるのである。潜在意識の深層に書きとめられたこうした記録は、由って生じたところの業として潜在する模型に従って、やがて起る未来の経験の場に反応させることになるのである。
あなたが恐怖、苦悩、自己意識、失敗、当惑というようなレコードを潜在意識の内部にもっているかぎり、ストレスをうけたとき、あるいは疲労したとき、あなたは、とかくそうした業のレコードを再生したがるものなのである。こうした業のレコードは、それを抹殺し、それをまったくなくしてしまうようにしなければならないのである。
私たちの憂慮する現世の悪といふものは、私たちが悪を見ないようにし、より高い立場に立って完全無欠の現われのみを見るようにするならば、それは中和せられて消滅せしめることができるのである。
信仰の初歩の人たちが何気なく、“神様が守って下さるからよい”というのは、彼等が全責任をただ潜在意識、あるいは条件反射的に働く心に転嫁しているにすぎないのである。
より高い理想を描き出すことによって、人間はその理想の中に自己を移入して行くことができるのである。何故なら、彼が“真実なるもの”として心に描き出す境地にまで到達するのが常であるからである。人はかれ自身が自分の心を其処に集注する通りのものになるのである。(つづく)
4月の誌友会(終) [誌友会]
谷口雅春監輯
しかし、その次には、原子エネルギーよりも偉大な秘密を発見するであろう。そして科学者達がその秘密を発見した時、彼ら自身に属するもの即ち、政治、経済、軍事的考慮を超えて、人類に福祉を与えた無私なる世界的奉仕者以外の、誰にも与えられずにいるに違いないものを、彼らは知るに至るであろう。無私なる者の手のうちに、世界中に生き残って行くべき人々の、未来の安全があるだろう。
この完訳が世に問われるに従って、単にジトコ氏の「世界大学」の構想の根源となる理想が明らかになるだけではなく、生長の家の信仰及び光明思想が、世界平和の実現に対して如何なる具体化の展望をもっているかということも明らかになると思う。それだから特に閣僚、国会議員、地方自治体の首長、生政連関係の人たちには是非読んで頂きたい本である。『正義と調和の“聖なる都市”の創造ということほど人間のこころにとって魅力ある問題は他にない』というジトコ氏の言葉をもってこの序文を終えることとする。(昭和50年4月12日 谷口雅春)

「新世界のビジョン」(H.J・ジトコ著、中島逸平・大野徹郎共訳)より
火
しかし、その次には、原子エネルギーよりも偉大な秘密を発見するであろう。そして科学者達がその秘密を発見した時、彼ら自身に属するもの即ち、政治、経済、軍事的考慮を超えて、人類に福祉を与えた無私なる世界的奉仕者以外の、誰にも与えられずにいるに違いないものを、彼らは知るに至るであろう。無私なる者の手のうちに、世界中に生き残って行くべき人々の、未来の安全があるだろう。
「監輯者としての序文」より
この完訳が世に問われるに従って、単にジトコ氏の「世界大学」の構想の根源となる理想が明らかになるだけではなく、生長の家の信仰及び光明思想が、世界平和の実現に対して如何なる具体化の展望をもっているかということも明らかになると思う。それだから特に閣僚、国会議員、地方自治体の首長、生政連関係の人たちには是非読んで頂きたい本である。『正義と調和の“聖なる都市”の創造ということほど人間のこころにとって魅力ある問題は他にない』というジトコ氏の言葉をもってこの序文を終えることとする。(昭和50年4月12日 谷口雅春)

(千鳥ヶ淵・桜2)
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4月の誌友会(その5) [誌友会]

(千鳥ヶ淵と桜)
谷口雅春監輯
「新世界のビジョン」(H.J・ジトコ著、中島逸平・大野徹郎共訳)より
大 地
自然は人間に従う。人間の調和は自然の作用を平穏ならしめ、自然は晴朗となる。しかるに、人類が戦争への道を歩み、赤裸々な破壊への手段を追及し始めるならば、自然は、暴風雨、洪水、旱魃、地震、火山の噴火、津波となって氾濫する。ことごとくの大戦争、例えば最近終わったような戦争に引き続いて、自然の反動は、極めて苛烈な暴風雨、季節外れの寒冷、地上の地形変化、例えば、太平洋上における新しい島の出現、カスピ海における漸進的蒸発による水位の低下、南カリフォルニヤにおける陸地の移動となって現れている。大陸の変化のごとき大きな変動は、千年にわたって続いている戦争の結果であり、一度これらの変化が起こり始めると、最終的な結果に到達するまで止まらないのだ.
火
原子の核分裂は、人間の作ったものとの比較にならない火の根源を表している。その爆発の輝きや、反応によって生じた莫大な熱は、太陽のそれに匹敵するものである。百万度の熱は、たとえ、炸裂のために生ずる爆風や、化学的光線の与える死相を除いても、人間の生存を許さなくする。ヒロシマの非人道的破壊について述べるならば、世界は未だもって、軍人でない一般文民は相対的に重要ないと信ずることにより、全市を殲滅しても良心のとがめを感じない、非良心的な人達によって支配されているということに、疑いを残さないのである。原子の発見は、その偉大な力の建設的利用を招来したかも知れないが、もし現代の趨勢に対し、抜本的な逆転をなさない限り、現代の世界は、原子力の利用がなされる以前に、破壊されてしまうであろう。(つづく)
4月の誌友会(その4) [誌友会]

(千鳥ヶ淵・桜)
谷口雅春監輯
「新世界のビジョン」(H.J・ジトコ著、中島逸平・大野徹郎共訳)より
欠乏からの解放
需要と供給との両者との均衡をたもつためには、すべての行動は大自然の宝庫への需要となり、すべての反作用が供給となるよう、動・反動の法則を駆使することが必要である。人間は他を益する奉仕を行うことを目標に行動を開始する。この行動が需要という意味で大自然に働きかけ、大自然から同様の奉仕をうけることになるのである。そして、掛け値なしの結果といえば、彼は自分が他に与えたと同じ利益を自分で確保するということである。
もしも、個人の行動が何かしら自分のためにするということであれば、その得たる結果は、宇宙法の相互作用によって、反作用が働いて抹殺するところとなるであろう。それは、他に与えたもののみが、永遠に自己の善業としてその存在を持続することのできるものだからである。この故に、経済的安全の第一原理は、自分が他からこうされたいと欲することを他のためにすること、自分が他からこうしたことを与えられたいと欲することを他に与えることである。
原子管理の問題については、結局のところ、原子成分の全性質の底を想念がながれていることがわかるのである。そして、人類は、原子を本質的に実体、知性、エネルギーの三位一体として認めなかったらば、こころの中で原子機能を管理することなどできるものではないことがわかるであろう。(つづく)
4月の誌友会(その3) [誌友会]

(靖国神社昇殿参拝を終えて)
谷口雅春監輯
「新世界のビジョン」(H.J・ジトコ著、中島逸平・大野徹郎共訳)より
非 暴 力
いかなる生物にせよ、それぞれの生命波長をもって生きているものの生命を人間がうばうことは、宇宙法にてらしてまちがいであり、責めらるべき行為である。人間が兄弟や自分自身を殺すときはかならず宇宙法上の罰を招くのである。これは、戦争、殺害、自殺、死刑、慈悲心によって殺すことのすべての問題に該当する。“生命には生命を”ということがいまなお動と反動とを等しいものとする基本法である。そして、剣をとるものは、いかに剣をとるべき正当な理由があるにせよ、剣によって死ぬことになるのである。国家もまた個人と同様に殺害の罪を負うのであって、そういうことになれば同じ罰をうけるのである。
来るべき新世界にあっては、無力な動物を殺して得られる肉食は将来の献立から姿を消すであろうことは、動物には人間のいまだ知らない、それなりにはたすべきいろいろの目的があるからである。やがて、人間は、鉱物界、植物界、動物界、人間世界のあいだの宇宙法関係がいかなるものであるかを知ることになるのである。なぜなら、こうした世界はそれぞれ大自然の中の神の世界にあって、それぞれ共通する神性によって、たがいに切っても切れぬ関係にあるものだからである。
4月の誌友会(その2) [誌友会]

(千鳥ケ淵戦没者墓苑にて)
谷口雅春監輯
「新世界のビジョン」(H.J・ジトコ著、中島逸平・大野徹郎共訳)より
宇宙的政治方法論
いかなる個人の防衛もそれが災害を恐怖しての防衛であるならば、“恐れるものは来る”の心の親和の法則により、それは、じつは自ら防ごうとしているその災害をかえって受けやすくする、ということも真実でなければならない。なぜそうなのであろうか?それはただ、ある人が悪をおかすまいと自らまもっているばあい、じつは悪というものは人が悪をおかしてはならないなどと恐怖しなければ存在しないものなのであるから、悪をおかすまいとしているような人を悪からまもる適当な方法などあるわけがないからである。
恐怖はつねに悪に関係があるのである。
集団についても同じである。もしも防衛ということが、集団の災害感受性を無視した集団防衛の問題として考えられるならば、その集団の災害を受けやすい性質は、いかに防衛の準備をしても、なんの効果もなからしめるのである―じつはその災害感受性とは、悪を基盤に育ってきたある制度が、自滅しないようにということで、その恐怖から生まれたものである―
準備は重要なことである。災害を超越した金剛不壊なるものの把握が、もう一つ重要なことである。
つづく
4月の誌友会(その1) [誌友会]

(千鳥ヶ淵の見事な桜)
谷口雅春監輯
「新世界のビジョン」(H.J・ジトコ著、中島逸平・大野徹郎共訳)より
新世界の防衛
物質的災害というものは情緒的、精神的、道徳的なことから起こる民族的、人種的な不調性から生まれたものであるということは、人類の進化発展の軍国主義的面を超越したごく少数の人以外にはわからない真理である。
ひとつの民族をながく存続させるにあたって、もしみずからの運命をみずから守るという運命観をうしなうならば、物質的保持ということは何の価値もないものとなる。より高度の哲学的見地からいえば、これは、思考すべきあらゆるもののうちで最高に重要なことである。というのは、いまいった“運命感”とはその民族の魂であるからである。
われわれは不充分な力と智慧によってわれわれを救済しようとし、じつは神こそいまの事態の最高の審判官であり、唯一の保護の源泉であるという実相を見ない傾向があるのである。
安全性と保存
(もしも防衛ということが、)それぞれの民族がその民族特有の神授の運命を成就するにあたって、相互に援助するものとし、全民族の保持を念願する普遍的な問題だとすれば、それはまたちがったふうに取扱わなければならないのである。
つづく
謹賀新年 [雑感]
毎年、元旦には明治神宮に参拝します。
今年は昨年より込みあっていました。
やはり、昨年来の自然災害、経済、政治への不安でしょうか。
今年は、辰年ですが、私は年男になります。
明治神宮の南神門の脇に毎年飾られているその年の干支が描かれている絵馬を撮影しました。
南神門の東脇
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